神社と神道 私にとっての神社
はじめまして、サイト管理人のマネッチといいます。
私は、もの心ついた頃から家の近所の神社の参道を走り回り、鳥居をくぐり、境内の中で幼馴染のみんなと遊んで育ちました。
田舎だったので、空き地もあったり、少し高い小山に登って町の景色を見下ろして自然の音を聞けるのどかなところでした。
そういえば、近くに公園というものはなく、近所の子供の遊び場、たまり場は、その神社の境内しかなかったのです。
普段は観光地にある神社でも無かったので、昼間、参拝する人を見かける事はほとんど無かったけれど、お祭りの日や、大みそか、元日になると、同じ町内の人々が集まり、わいわいとにぎやかに神社に手を合わせに来るのを見ては、大切な区切りの1日なんだと実感させてもらった気がします。
又、子供会の行事もその神社で行われる事が多々ありました。夏休みのラジオ体操やバーベキューなどもありました。
氏神様、などの呼び名は知らなかったけれど、今考えれば、私たちの町内はその神社の氏子だったということなのでしょう。
子供の頃からずっと、神様に見守られて、育ってきたような気がします。懐かしく昔を思い出すとき、季節の折々に香ってくる草の香り、花の香りとともにいつでも私は子供の頃駆け回ったあの境内に立っている気持ちになります。
私達日本人にとって、神社とは、どのような意味をもつものなのでしょうね。興味をもったので調べてみました。
神社と神道 日本には八百万の神がいる
神道の考え方は、草や木や火や水など、ありとあらゆるものに神が宿っているという自然崇拝の考え方です。
私たちの周りがどんなに近代化されても、アスファルトの下には、地面があり、山には木が茂り、川は水を湛えている。いつでも、どこにいても神様が側にいるという事です。
日本という国は四方を海に囲まれた島国です。海では魚や貝を採りそれを命の糧(食料)としたことが今日の漁業の始まりだったのでしょう。
また、しっかりとした四季があり、畑作で作物を得ることが農業の発展になり、稲作にも繋がってきたことでしょう。
国土としては、決して広大とは言えない中、日本人は、工夫をこらし、自然を味方にし豊かな生活を営むことが出来るよう考えるには、嵐や時化にあわないように、日照りや大雨にあわないようにと願うようになるのは、ごくごくあたりまえのことであり。普通に自然崇拝がなされていたと思われます。
自然は未だに私達人間の思い道理になることなく、自然災害や地震により今まで住んでた場所からも離れなくてはならなくなることもあります。
自然に人間では及ばない力を感じ畏怖の念をもち、崇めたのも神様崇拝のもう一つの理由だったのではないかと思います。
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